一平ちゃん

寛政6年(1794)5月の河原崎座で公演された「恋女房染分手綱」は近現代の歌舞伎の演目には入らないようだ。
丹波由留木家の家臣伊達与作は、若殿から預かった芸妓いろはの身請け金三百両を家来の奴一平に託す。
ところが奸臣鷲塚八平次に雇われた江戸兵衛をリーダーとする悪党どもが奴一平に襲いかかり、大金を奪い取る。
両手を突き出して凄みをきかせる悪党の江戸兵衛に対して、まさに刀を抜いて戦おうとする市川男女蔵の若い奴一平。
両者の対決をはじめから見越して一対の役者絵として企画した蔦谷重三郎のプロデュース力が光る。
いずれも背景は黒雲母摺りで役者の大首絵の豪華さと重厚さを強調している。
寛政の改革の主導者の松平定信は前年の夏に失脚して白河に去ったが、この年もまだ寛政の倹約令を続いていた。
役者の衣装や収入にまで厳しい目が届き、浮世絵もお金のかかる雲母摺りや多色刷りが禁じられていた。
しかし、ここでも蔦屋重三郎は反骨心を見せたが、方や一連の役者の大首絵で大当たりをとって、半分にされた身代をとりもどしてやろうという野心があった。
写楽は名プロデューサーの期待を一身に担ってデビューしたのだ。