鬼火(第五夜)-「寛政捕物夜話」連作短編集-

浮多郎は、春慶寺の横の浅草紙の工場の元締めをたずねた。
薄利の厠の落し紙で、どうして御殿のような家が建つのか不思議なほど立派な家に、元締めは住んでいた。
「うちの溜池で紙漉きの職人が死んだ話は知っている」
猿のように小柄な皺くちゃの老人は、からだにそぐわない大きな声でいった。
「その件で、お助けをいただきたい」
浮多郎が頭を下げると、元締めはすぐに頭の久太郎を呼んだ。
「弦蔵は、聖天稲荷裏に住むお好という女の紹介でやって来たはず」
頭の久太郎は、弦蔵を雇ったときのことをよく覚えていた。
「お好の前の亭主の忠吉が一刻ここで働いたので、その縁でかなと思ったね」
この辺は、お好がいったことと同じだ。
「忠吉は長いこと山師をしていたとか。たくましい男で、役に立ちました。ただ・・・」
「ただ、何ですか?」
「しじゅう、持ち場を離れるんで困りました。咎めると『山師だったんで、森を見るとどうも』と、田畑の先の雑木林を歩いていたといってたね」
たしかに、工場の裏手の玉姫稲荷の先は、田畑と鬱蒼とした雑木林が続き、そのさらに先は大川の流れが大きくうねっていた。
「これは弦蔵も同じだったね。弦蔵も、初めこそ真面目に働いていたが、やがて忠吉と同じに、しじゅう抜け出すようになって。『どうした』と咎めると、『雑木林を歩いていた』と忠吉と同じような言い訳を。聞けば同じような山師だったらしくて、同業のやつは同じような癖があるのかと呆れたがね」
こいつは初耳だった。
「弦蔵は、縛られたまま溜池に放り込まれていたが、死因は水死じゃなかった・・・」
本題を切り出すと、元締めと久太郎は、浮多郎の口元を見つめた。
「どうも、ぐるぐる巻きに荒縄で縛られ、両耳の裏に穴を開けられた上に、逆さに吊り下げられたので、出血多量で死んだと思われます」
ふたりは、眉を寄せて聞き入った。
「耳の後ろに錐で穴を開けて血を少しずつ垂らし、頭の鬱血を防ぎながら、真っ暗闇の穴に長いこと逆さに吊るして恐怖感を与えるのが、キリシタンの拷問のやり方です。弦蔵の場合は、錐ではなく、匕首か何かで穴を大きく開けたので、血が早く出すぎたようです」
これは、岡埜の受け売りだった。
「ひとと会うと出かけた昼下がりから、弦蔵を長いこと人目につかずに吊り下げておける場所にこころ当たりがあれば、教えてもらいたいのです」
『キリシタン拷問の話は余計だったな』と、思いながら、浮多郎はふたりの顔を見た。
元締めは、仕事はもういいから、敷地内をすべて案内しろと久太郎に命じた。
・・・それで、ふたりはくまなく工場と敷地を見て回ることにした。
まず、弦蔵の死体が浮かんでいた溜池だ。
この溜池はさほど深くはないが、それなりに広い。
死体は池の真ん中近くに浮かんでいたので、固太りの弦蔵をひとりが頭、ひとりが足を持って放り込まなければ、池の中ほどへは届かない。
・・・下手人は、少なくともふたりいたということか。
日の落ちる暮れ六ツ前に工場は終わって、人気はまったく無くなるので、溜池にはだれでも近寄れる。
次は、工場を見せてもらった。
溜池のヘドロを大きな柄杓で汲み上げて、幅の広い樋に流し、両側に立つ六人ほどの職人が目の細かい四角い網で漉いていた。
天井には吊り下げる梁もなく、地面には血痕などはなかった。
工場の棟続きに、わりと大きな平屋があった。
ここでは、五人ほどの女が木枠を当てて、包丁で紙を定型に裁断して、束ねていた。
突き当りには、束になった浅草紙が堆く積み上げられていた。
ここでも天井に梁はないし、地面に血痕はなかった。
夜になれば、敷地にも工場にも誰でも入れると久太郎はいった。
・・・それにしても下手人は、どこで弦蔵を吊るしたのだろう?