三角形の殺人(第十夜・大団円)ー「寛政捕物夜話」連作短編集ー

丸に吉の字の駕籠屋が両国の回向院近くににある、と同僚に聞いた岡埜が教えてくれた。
障子戸に大きく「駕籠吉」と墨書した駕籠屋が、回向院裏で見つかった。
「ぜんぶ出払ってるよ」
帳場に座るヤクザの元締めのような大男が、浮多郎が駕籠を頼みに来たと思ったのか、大きな声で怒鳴った。
「八丁堀からの御用でさ」
と浮多郎が懐の十手を覗かせると、大男は神妙な顔になった。
「きのうの昼下がりから夕方にかけて、浄心寺から日本橋まで、半分裸のとびっきりの美人を乗せた話を聞かなかったねえ?」
話を振られた駕籠屋の親分は、しきりに手元の大福帳を繰っていたが、
「いや、そんな話は聞いてねえ」
としらっぱくれた。
「そうかい。なら、ここにしばらく座らせてもらって、駕籠かきどもがもどったらいちいち聞いてみよう。何なら仲町の浅吉親分にお出まし願ってもいいが・・・」
と、浮多郎が板間に腰を下したので、親分は大いにあわてた。
また大福帳を繰りはじめた親分に、「ほんのご苦労分さね」と、ポンと小粒を放ると、
「ああ、ありました。浄心寺から日本橋の大根河岸で」
書いてもいない所番地を口にした。
「ここへ、駕籠を頼みに来たやつはどんなやつだった」
それを聞くと、親分は目を白黒させ、額から冷や汗を流した。
「いや、それは、その・・・」
口ごもるのに、
「浅吉親分にしょっ引いてもらって、奉行所で石でも抱いてもらおうか!」
浮多郎がすごむと、浅吉が怖いのか石抱きの拷問が怖いのか、駕籠屋の親分は、
「凶状持ちの粂吉です」
とやっと白状した。
―奉行所にとって返した浮多郎は、すぐに岡埜に報告した。
「島帰りの粂吉か」
岡埜は唸った。
十年ばかり前島送りになった乱暴者の粂吉は、最近になって赦免され、江戸に戻っていた。居所は知らないという。
―翌朝、事件は再び動いた。
通いの越路屋の手代が店に入るとすぐ、奥座敷に匕首の一突きで死んでいる主の半兵衛を見つけた。
奥座敷の隠し金庫は開け放たれ、中の大金が奪われていた。
この隠し金庫の鍵は、半兵衛しか持っていないということだった。
次に、半兵衛が最近寝泊まりしている、大根河岸の別宅で、梁に吊り下げられた半裸の美女が、匕首で突かれて死んでいるのが見つかった。
・・・呼び出されて大根河岸までやってきた浮多郎に、
「おそらく半次郎は、この別宅で、お勝を吊り下げてよろしくやっていたのだろうよ。そこへ粂吉が現れ、いきなりお勝を刺し殺して、高跳びの金を要求したのだろう。半次郎を脅して越路屋に行き、隠し金庫から金を奪い、そして殺した」
岡埜にしてはめずらしく、みずから見立てを口にした。
浮多郎は、ただうなずくだけだった。
・・・『高跳びした粂吉は、もはや見つからないだろう』と思った浮多郎は、『手順を間違えた』と唇を咬んだ。
岡埜は、すぐに根岸に捕り手を送り、越路屋の今は隠居した幸兵衛を、逮捕した。
―「幸兵衛は、島帰りの粂吉を使って、お勝の情人の喜之助、好次朗、甚六を殺害させた、と自白しました」
奉行所からもどった浮多郎は、頭の包帯をお新に取り換えてもらいながら、奥座敷で横になる政五郎に話しかけた。
「あの幸兵衛がなあ。・・・ひとは分からねえ」
政五郎は、大いに嘆いた。
「お勝に惚れ込んだ幸兵衛は、無理にも懐の深さを見せて、昔馴染みの喜之助と好次朗と遊ぶ分には大目に見ていたのでしょうが。・・・甚六だけはどうしても許せなかった」
「あら、どうして?」
お新が小首をかしげた。
「幸兵衛は、じぶんが甚六に絵の手ほどきをしてやったと自負していた。が、その甚六がめきめき腕をあげ、じぶんを差し置いて、泉屋からあぶな絵を版行する話を聞きつけ、嫉妬の炎を燃やした。ましてや、お勝のいちばんの思い人が甚六ときては・・・」
浮多郎は話しながら、男の嫉妬心の凄まじさに恐れおののいた。
『お新に好きな男ができたなら、俺もその男を殺すだろうか?』
絶対に殺さないという確信が、浮多郎には、・・・なかった。
「粂吉は、幸兵衛が連れて来たのかい?」
起き上がった政五郎が、枕元の冷えた麦茶の湯呑を手にした。
「倅の半次郎のようです。けっこう遊び人で、口うるさい内儀を離縁するほど博打にのめり込んでいたようです。幸兵衛に頼まれた半次郎は、博打場で粂吉を探し出したのでしょう」
浮多郎の頭の包帯を巻き終えたお新は、
「そのお勝さんとやらを描いたあぶな絵は、泉屋さんから出版されるの?」
とたずねた。
「画帖は泉屋の手にあるが、このご時世だし、猟奇的な事件もあり、しばらくはお蔵入りのようだ」
と浮多郎が答えると、
「男のひとが、裸の女を吊り下げて面白がるのが分からない。どうして?」
お新は、可愛らしく口をとがらした。
・・・それは、浮多郎にも説明ができそうになかった。