東洲斎日和(第十二夜・大団円)-「寛政捕物夜話」連作短編集-

浮多郎は奉行所に駆け込んで、岡埜同心に今度の瓦版騒動を洗いざらい話した。
「火盗の重野も、いいところがあるじゃあねえか」
岡埜は、晴れ晴れとした顔でいった。
「そも、うちの若い源五郎が、要蔵殺しを抱き合い心中と間違えたのがつまずきのはじまりだった。重野の配下の箭内某が、瓦版を作ったり売ったりした下々の弱い者を血祭りにあげた下司のこころがいただけねえ。おまけに黒幕は蔦屋重三郎と読み違える始末だ」
「『紀文花見の図』の作者が、写楽と見たのは正しかったのですが・・・。写楽とくれば、蔦屋さんと京伝先生がすぐ思い浮かんだのでしょう」
「町奴だか火消しの棟梁が、陰富の黒幕だったとは驚きだったな」
「岡埜さまはこの事件をどのように落とし前を?」
「落とし前だって?」
岡埜は鼻先で笑った。
「奉行所は侍のことには、首は突っ込めねえ。ましてや、瓦版が公方さまを誹謗中傷しているなんざ、火盗のヒラが思いつくことじゃねえだろうよ」
「ということは・・・」
「どんぴしゃ。手前が思い描いた通りだよ。お奉行に圧力をかけて、われわれの捜査を押さえにかかった。それがうまくいったんで、蔦屋も狙わせたのだろう。いったいぜんたい、あの瓦版がほんとうに公方さまを揶揄しているのか、俺には分からねえ」
『紀文の顔はたしかにあの棟梁の顔に似ていた。花魁のひとりは妾の顔か。陰富の当り番号を知らせる瓦版に、じぶんと妾の顔を東洲斎に描かせただけではないのか?』
浮多郎は、『この国の支配者が、思い込みから恣意的に無辜の民の罪をでっちあげ、勝手に処罰している』と、義憤にかられた。
「重野さまは、ほんとうに部下たちが上の指示で勝手に動いているのを知らなかったのでしょうか?」
岡埜は四角い顎をさすりながら、奉行所の天井を見上げた。
「・・・さあな。そいつは手前が重野に聞いてみるんだな。こちとらは、調べたネタを重野に渡すだけだ」
―泪橋にもどると、悦が土間のあがりはなで膝小僧を抱え、浮多郎の帰りを待っていた。
お新が、ちょうど台所から握り飯を載せた皿を持ってきた。
「悦ちゃんが、浮さんに秘密の話があるんだって」
それを聞いた悦は、顔を赤らめた。
「大家さんから聞いたけど、・・・浮さんがお父を殺した悪い奴を捕まえたって。それでお礼に来たんだ」
悦は、必死におぼえたお礼のことばを口にした。
「ああ、それはちょっとちがうね。悪いお侍を斬ったのは、東洲斎先生だよ。おじさんは何もしていない」
「先生って、絵がうまいだけだけじゃなくて、剣も強いんだ」
「そうだね。それに、・・・とてもやさしい」
悦は、わが意を得たりと、しきりに首を振った。
―ちょうどその頃、聖天稲荷裏の東洲斎の長屋の前を行きつもどりつする、麗しい女性がいた。
それは、東洲斎のために丹精込めて縫い上げた紬をくるんだ風呂敷を抱えたお楽だった。
その時、若いが妙な色気のある女が怒って飛び出してきたので、お楽と鉢合わせした。
睨みつける女に恐れをなしたお楽は、「あら、ごめんなさい」と、逃げるように立ち去った。
・・・若い女は、玄治店の町奴の棟梁の妾の、柚希だった。