はしがき

東洲斎写楽はまぎれもなく実在した絵師です。
寛政6年(1794)5月5日初日の江戸三座の夏興行に取材した、28枚の歌舞伎役者の大首絵を蔦屋重三郎の耕書堂から版行、デビューしました。
大首絵とは、今でいうブロマイドです。
9ヶ月だけの活躍で144枚もの版画を残し、翌寛政7年(1795)春興行の役者絵を版行した後、忽然と消えてしまった写楽。
その素性は当時も明らかではなく、100年ほど前にユリウス・クルトが写楽を世界三大肖像画家のひとりと持ち上げてから、絵画としての高い芸術性を評価され、その素性探しがはじまった。
さまざまな説が流布したが、「八丁堀の地蔵橋たもとに住む能楽師の斎藤十郎兵衛」が現在のところ最も有力な説のようです。
拙著「寛政捕物夜話」シリーズ三部作では、大身旗本の放蕩息子の東洲斎が、曲折を経て「写楽」としてデビューする物語としました。
種明かしをすれば、「東洲斎が写楽の半身」というのが私の推論です。
犯人さがしだけの推理小説は、いかにもうすっぺらです。
豊かな芸術性をもつアーティストは、必ず豊かな物語性をもっています。「写楽」の内面を掘り下げ、物語としたのが、「寛政捕物夜話」です。

サテュロスのごとく、半身が写楽の東洲斎が、新米目明しの浮多郎とともに江戸の難事件に挑む「寛政捕物夜話」の続編を、短編集というかたちで紡いでまいります。

令和2年(2020)1月1日

藤 英二